2012年1月18日水曜日

石膏デッサン

結構重要な基本だと思ってやってます。
絵は描けるけど、その美術の基本というか、そういうのキチンと通してやってきてるのが、自分自身へのreliabilityとなる(tortuosity?)と思ってる。そして、この木炭画、そのreliabilityの根幹に近いもの、立体をキチンと捉え、紙面に映し出す作業、自分はキチンと見えているかということの確認。こういうの以外と敬遠しがちなんだけど、やっていくことで経験となる。敬遠するものこそしていかないと身につかない、そして、ある手法一辺倒では芸もないし、reliabilityにつながらない。そして、これは絶好の機会。そういうopportunityないと家では、まずしないだろう。ぼくがこの学校に来ている理由はこういうところにもある。何が大事なのか、見失っていないつもりである。ふむふむ。

ところで、一枚目は、去年、セツに入ってから初めての木炭画である。
やはり、雑さが目立つ。
そして今回、前回(前回のブログのもの)と比較するに、よろしくない。
丁寧なとこはあるが、プロポーションに手間取り、うまく陰影を引き出すまでにいたらなかった。
口と鼻の関係部分の奥行きを出せず悔しい思いである。

しかしながら、これでわかる。
何回やっても、そう簡単には技術は上がらないことを。
そして、でもすこしづつだということも。

そして、もう一枚。
これは、以外と一匹一匹、図鑑から見て描いたので、時間がかかった。でも面白くできた。
自分はエッシャーが好きなので、その傾向がうかがえる作品でなないだろうか。


いつしかの木炭画(in setsu mode)と、とあるヌード

これは冬休みの間の宿題として、描いたもの。
ヌードを描きたいというより、山羊の角が描きたかった。
そして、とある美術用の絵にヌードがあったので、山羊の角と合わせてみた。
四六半切である。
肌の部分に斑がでないよう注意し、角に集中してみた。


 木炭画は自分でも気に入っているので部屋に貼ってる。
やはり、陰影をしっかりメリハリつけたり、ぼんやりさせたりといろいろなことしてある。当たり前なんだけど。胸の辺りの遠近感が気に入っている。

2012年1月9日月曜日

Ipiria

10h
イピリア(Ipiria)は、オーストラリアの先住民アボリジニが崇拝していた精霊。
髪の毛と髭があり、虹色に輝く巨大なヤモリの姿をしており、いつもの底で眠っているが、 一年に一度だけ沼から這い出し、草と水で腹一杯になると、今度は腹の中のものを一気に空に吹き上げる。 それが雨雲と変わり、大地に大雨を降らし、雨期の到来を告げ、大地に豊穣を齎すと伝わる。アボリジニの人々は、雨雲と共に訪れる雷鳴はイピリアの鳴き声であると考えていた。 イピリアの棲む沼は神聖な聖域で、人間が足を踏み入れると、乾季が終わらなくなると言われており、イピリアの生息する沼に立ち入る事は禁忌とされている。

cf:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%94%E3%83%AA%E3%82%A2